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世の中のほとんどが。。。

こんばんにゃ♪ 明日は7時前に起きて9時から授業だというのにまだ起きているJoyです。^^;(ちなみにありがたいことに3連休は全て仕事です。ヽ(^。^)ノ)

さて「世の中のほとんどが」の後ろには、私は「幸せな勘違いから成り立っている」と続けたいと思います。 記憶の網を手繰り寄せてみるに、最初に「私、英語イケるかも!」と思ったのは高2の時。 同じブラスバンド部の友達の家に夏休みの1ヶ月間、アメリカ人の女の子・Dianaがホームステイに来たのでした。 Dianaがクラブの練習を見にやってくることになったもので、友人たちは「この表現が使えそうやわ。」とNHKラジオ英会話のテキストなんぞを持ってきてワイワイやっていましたが、その頃すでにひねていた(?)私は「んな、付け焼き刃で覚えたものは通じへんわな。」と何の準備もせず。

で、練習が終わった後、女の子ばかりで難波に繰り出しました。 「うどんを食べるかピザを食べるか」という最重要課題に決着をつける必要があったのですが、テキストを抱えた友人たちは全員が撃沈。 最終兵器(?)の私が‘Do you want noodle or pizza?"的な素朴な英語で聞いたら”Oh, I'd like a pizza!"と返答があって一件落着。 ここで私は「あ、なんか私、英語イケるかも。(・_・)」という、何とも幸せな勘違いをしてしまったのでありました。

・・・以上、アホはアホなりに「イケるかも」とそこそこ調子に乗ったのが、私が現在こういう仕事をしている1つのきっかけかも、というお話でした。 ちなみに撃沈した友人たちは現在、歯医者さんだったり航空会社の社員だったりします。 ほんま、幸せな勘違いをして良かったと思う丑三つ刻の私でありました。 ではみなさま、おやすみなさいませ♪
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何を勉強してきたっけ・・・?

ええ。「教えてもらう人」でなくなってからの話です。 え〜っとまずは。。。

1)NHKラジオ英会話
これ、長い間聞きましたね〜。 19歳から聞き始め、結婚して子どもができてからもしばらくは聞いていましたっけ。 コツコツと続けることが苦手な私にはけっこう大変な作業だったので、2つのことを決めていました。 1つめは「聞いたらページの端を折ってdog earを作ること」・・・聞いた量が目で見えるので、ま、励みになりました。 2つめは(留守録したものを聞いていたのですが)「聞けなかったものはまとめて聞こうとしない」・・・少々英語の勉強時間が減ることがあるにしても、英語そのものをやめるわけではありません。 んな、セコセコと頑張らんでもよろしいがな、という感じ。 「頑張る」のではなく「やめない」というスタンスですな。

2)英字新聞
これは21歳ぐらいからだったでしょうか。 Daily Yomiuriを定期購読して、取りあえず第1面は全部読もうと思っていました。 確か、殊勝にも単語帳を作っていたような記憶があります。 が、ある日突然やめました。 「これって、中学校で習う構文にちょっと政治的な単語が入ってるだけやん。あまりにも無味乾燥で芸がなくてオモロない。」と思ったその日に。 ほんと、いきなり「アホらし。。。」と思って「や〜めた!」という感じでした。(^_^;)

3)ペーパーバック
初めて買った本は「ROCKY III」。。。いやほんま、トシがばれますね。 それも高2だったか高3だったか、というぐらい昔です。(まだ始祖鳥が空を飛んでいました。)(←違) その時にはさすがに読めなくて「ほぼ習った単語ばかりなのにどーして読めないの!?(?_?)」と、凹んだことを覚えています。 ROCKY III読了は20歳になった夏。 その後、しばらく英字新聞に時間を費やした後、本格的にペーパーバックにはまったきっかけはSidney Sheldon。 たまたまMaster Of The Gameを手にしたら、これがまた面白くて面白くて。 夜中にふと目覚めたときに続きを読み始めるぐらい面白かったですねえ。 こんなに単純な英語でこれほどまでのことを表現しうるのか!?というのが非常に大きな驚きでもありました。 取りあえず手に入るSheldon本を全部読み(そして新刊本が出るたびに読み^^;)その後はかすかに情報として入ってくる、アメリカでのベストセラー情報を見て読むものを決めていました。 ま、なんだかんだで200冊は読みました。 でもいまだに読むスピードは速くありません。 ・・・というか、速く読もうとも思いません。 せっかくの読書なのでじっくり味わいたいな、という感じで。

4)その他
英語を教える人であったがために高校生の時に苦手だった文法はかなり補強をせざるを得ず「あ〜オモロない!(´・ω・`)」と思いつつ、文法関連の問題集はそこそこ解きましたっけ。 他には・・・歌ですな。 高校生の頃にBilly Joelにはまったこともあって、かなり歌は幅広く聞いてきました。 これによってリンキングだの聞こえない音だの、その手のものは感覚でつかめるようになったのが最大の「オマケ」でしょうか。

。。。。。こうやって考えると、ほんとに真剣に英語を勉強した期間はそれほど長くないような。(^_^;) ただ「続けてきたこと」そして「教えてきたこと」(=勉強せざるを得なくなる^^;)の2つがキーワードのような気がします。

専門学校時代について書いてみる

正確に言うと私の在学中は「大阪府認可の専修学校」ではなかったので「専門学校」ではありませんでした。(ま、街なかのカルチャースクールと同じ扱いね。 私が卒業した翌月に専修学校となったので、私の学歴は高卒なのでありますわ。)

私が入ったのは現在のECC国際外語専門学校。 当時はECC高等英語専門学院という名前でした。 (縁あってわたしゃ現在、ありがたくも母校の生徒を週4日教えております。) どうしてココを選んだのかというと、特待生制度があったから・・・その一語に尽きます。 英語を一生の仕事にする、という覚悟は正直言ってなかったのですが「ま、英語をやっときゃ食いっぱぐれはないだろ。(・_・)」と思ったのは確かです。(^_^;)

当時のECCの英語教育の特徴は何と言っても「暗誦」でした。 いやはや、これはも〜ほんまに徹底的に音読し、覚えさせられました。 電車に乗るときもいつも暗誦クラスのテキストを持っていましたし、声はつねにガラガラ。(←音読のしすぎです。^^;) この学校、2年生になったとたんにバタバタと就職していくのが普通だったため、私も学生であったのは2年生の7月まででした。 この時点でちょうど20歳。 これが私の「教えてもらう人」の最終地点でした。

某月刊誌の編集部に1年ほどいた後、学習塾に英語専任講師として拾っていただいたのがセンセとしての第一歩でした。 確かこの頃にECC時代の友人が「合格・不合格のないTOEICという面白いテストを見つけて受けてみたら800点だった。」と言ったので「ふ〜ん、面白そうやなあ。」と思って初受験したのでした。 何が何やらわからないままに受け、戻ってきたスコアは850点。 「もうちょっとテスト慣れしたら900点ぐらい取れるかも。」と1年後ぐらいに受けたときに915点でした。 もう25年ぐらい前の話。 いやはや、懐かしいな、これは。

ちなみにECC高専時代の友人で英語でメシ食ってるのは私を含めて2名。 私よりよく出来る友達もたくさんいたのですが、結婚・出産・ご主人の転勤などで、どこかの時点で英語から離れていきました。 で、気がつけば優秀でも何でもなかった私が英語の世界に残っている状態です。 私が常々「あきらめたらアカン。 あきらめたら一巻の終わりやから。」としつこく言う理由はココにあります。 英語は長く勉強してる者の勝ち・続けたモン勝ちです。 コツコツ(しつこく?^^;)続けるとどこかでブレイクするからそのタイミングを自分の力を信じて待て、と。

ま〜しかし考えてみたらワタクシ、この20年以上の間に75点しかスコアアップしていないわけで。。。なんか全然ブレイクしてへんやん!という感じですが。(^^ゞ

高校時代について書いてみる

アルクブログでは混迷の中学時代について書いたので、こちらでは五里霧中の高校時代について書こうと思います。

超絶nasty and meanな某先生のおかげで英語が得意科目になった私は英語を武器にできる状態で府立高校に進学しました。 高校時代の英語教科書は今でも覚えていますがNew Encounter。 格調高きイギリス英語の教科書でありました。 幸いに中学時代に予習して授業に臨むことが習慣付いていたので、N.E.も同様に単語を調べーの、全体訳をしーのしてから授業を受けていました。(エライやん、私。) 強烈に記憶に残っているのが、高1最初の授業の予習が大変だったこと。 辞書(もちろん電子辞書なんてありまへん。)を引きまくって考えまくってもなかなか訳が出ないで非常に苦労しましたっけね。

あと、力が付いたよなーと思うのが美誠社の往年の名著「英語の構文150」。(現在手に入るブツとは全くの別ものです。) これは高1時の「勝手教材」(年度の最初に1学期の中間テストには◯ページまで出すから勉強しとけ〜♪と出されるヤツね。)でした。 高2・高3のときにも「勝手教材」はあったのですが書名は記憶になし。 ま、たぶんよっぽど大変だったのか、高2・高3のときに「勝手教材」を無視したかのどちらかでしょう。(・_・) ああ、そう言えば高1のときにはリーダー(「講読」ですな。今はない科目となってしまいましたが)のテストで100点を取ったことがありましたっけ。 ・・・120点満点のテストで。(ぼそ)

高3になる頃には大学進学が絶望的なことが明らかになってきていたので、受験勉強に本腰を入れ始めたクラスメートたちにどんどん追い抜かされましたが、英語は一番の得意科目ではありましたな。

で、音声面の勉強は好きでした。 教科書の音読テープ(今の小学生は知りませんがな、ほんま。)をもれなく買わされた(妙に被害者的意識が入っておりますが。^^;)ので、これは気に入ってけっこうよく聞いていました。 ここ2年ほど天満嗣雄さんに「Joyさんの英語、なんとなくBritishの匂いがしますねー。」と言われる淵源は間違いなくココです。

リーダーは得意だった一方、グラマーは惨憺たるものでした。 説明を聞いて「ふう〜ん。」と思って、それだけ。 教科書傍用問題集もなかったので、ほんと「ふう〜〜ん。」で終わりだったのでテストで点が取れるわけでなく、後年、なぜか英語を教えることになったときにはかなり困りました。 今でもそうですが「英語なんて意味がわかったらエエやん。」と思っている部分があるので、実はあまり力が入る分野ではなかったりします。

英語を教えていただいた先生ですが、不思議なことに英文法は英語ペラペラ。 発音にクセはあったと思いますが、立派な英語を話される先生でした。 かんじんのリーダーの先生は完全にカタカナ英語。 なんつったって「あと じ えんど おぶ ざ すとりーと、 ひー そー はー」(At the end of the street, he saw her.)だったもので、これはマジで生徒のほうが発音が上手でした。

懐かしいな。。。めちゃくちゃだったけれど、間違いなく今の英語力のベースとなった高校時代。 ちなみに英語ペラペラの先生はずいぶんお年ですが、まだ高校で教えておられる由。 「あと じ えんど おぶ」の先生は、私たちが卒業した翌年に某予備校でアルバイトをしていたとのことで新聞に名前と顔が載り、あっさりと退職されました。(^_^;)
プロフィール

Joy

Author:Joy
・TOEICテスト990点満点
・TOEIC S/Wテスト400点満点
・英検1級(優良賞受賞)
・通訳案内士(英語)
・高卒・留学経験なし
・大学と専門学校と高校で英語各分野を教えていたり、たまに英語の先生に英語をお教えしたり
・・・・・な、株式会社の代表取締役のオバチャンです。

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